チャペック兄弟Čapek Brothers

ナチスに屈せず描ききったおとぎ話

★ ヨゼフ・チャペック
1887年3月23日フロノフ生まれ。
チェコの国民的作家であるカレル・チャペックの実兄。
1910年前後、カレルと共に評論、散文などを執筆。
1916年、チャペック兄弟としてデビュー。二つの世界大戦の間に多くの作品を手掛け、愛くるしい子犬の記録「ダーシェンカ」や「園芸家12カ月」「こいぬとこねこは愉快な仲間」などをはじめとするカレルの著作の装丁や挿絵を描きました。10数年で装丁した本は約500冊を数えます。 素朴で温かみのある絵と、思わず、くすっと笑ってしまう絵柄は誰もが、微笑ましい気分になります。他に劇作家、芸術評論家、舞台芸術家としての顔を持っていました。 1921年、カレルと共にプラハの「Lidove Noviny紙」に入社して紙面の風刺漫画を担当しましたが、ナチズムとヒトラーに対する際どい批判により、1939年にナチスに捕えられ、1945年の解放直前にベルゲン=べルゼン収容所で亡くなります。

★ カレル・チャペック
1890年生まれ。1916年、チャペック兄弟としてデビューし、チェコスロヴァキア共和国独立後の大衆文化から前衛芸術まで幅広く活躍。ジャーナリストの傍ら、戯曲、童話など多彩な活動を展開。戯曲「R・U・R」で“ロボット”という言葉を生みだす他、ノーベル文学賞受賞候補となりました。日本でも翻訳された本が多数出版。カフカとならびチェコ史上、最も有名な文豪として知られています。

チャペック兄弟の弟カレル・チャペックは、前述どおり「ロボット」という言葉を世界に誕生させた人物として有名です。戦時中に活躍し、「ノーベル賞に最も近い人物」と言われましたが、終戦前に亡くなってしまいました。兄ヨゼフ・チャペックは絵本の挿絵で活躍した作家で、弟の作った物語の絵を描きました。残念ながら、彼もナチスから思想的な疑いをかけられ、終戦前に収容所で亡くなりました。戦後、残されたヨゼフの原画をもとにアニメーションが作られました。2回の戦争の中で作られた彼らの作品は戦争の悲惨さとは無縁のほのぼのと優しいものです。“いやし”という言葉の原点は、このアニメーションにあるかも知れません。のんびりして素朴な登場人物たちのユーモラスな姿は不況であえぐ日本の社会とは無縁な微笑ましさを感じさせてくれます。終戦前に散ったこの兄弟作家の数少ないアニメーションが手に入りました。ヒトラーも若いころに、このアニメーションを見ていれば、ずいぶん世界も変わっていたかも知れません。

©Krátký Film Praha,a.s., Země pohádek,a.s., Dilia, Josef Čapek