ヤン・シュヴァンクマイエルJan Švankmajer
人であろうと物であろうと、私にとっては、
劇中に登場するオブジェに過ぎない。
ただ、人だとギャラが発生するから
厄介だけどね
1934年9月4日プラハ生まれ。
8歳のときに父親からもらった人形劇セットが彼の世界観・芸術観の形成を決定的にしました。16歳のときにプラハの工芸高校に入学。このころシュルレアリストに興味を持ち、1954年プラハ芸術アカデミー英劇学部(DAMU)人形劇学科に入学。演出法と舞台芸術を学び、大学卒業後、短期間ですが、リベレツの国立人形劇場で演出と舞台美術を担当しました。その後、1960年まで義務兵役に就き、その年、エヴァと結婚。
1964年、初の映画「シュヴァルツェヴァルト氏とエトガル氏の最後のトリック」を製作。その後、数々のオブジェクト・アニメーション(人形、粘土、日用品などを使った立体アニメーション)を撮りました。
1968年8月のワルシャワ条約機構軍の侵攻後、家族と共にオーストリアに行き、1969年に再びプラハに。
1973年「オトラントの城」の準備を始めますが、当時の共産党政権化でブラックリストにのり、映画製作を禁じられ、その後1980年まではバランドフ映画スタジオで特殊撮影と美術を担当して生計を立てることになりました。
1987年初の長編映画「アリス」完成。
1997年サンフランシスコ映画祭で「伝統的な映画製作の枠組みにとらわれずに仕事をしている」映画監督の業績に対して授与されている「ゴールデンゲート残像賞」を受賞。
2003年プラハ芸術アカデミーより名誉博士号を授与。
2006年1月「自分の世界観に忠実であり、その世界観を充分に持つ映画という造形手段によって表現したこと」を理由に「ヴラジスラフ・ヴァンチュラ賞」を受賞。
映画だけでなく、オブジェ、コラージュ、セラミックなどの美術造形作品も多数製作。その表現・技法は世界の多くのアーティストに影響を与え、多くの日本の美術・造形系の大学の授業でシュヴァンクマイエルを紹介しています。
チェコアニメの伝統を無視し、世界に評価された異端児、それが、ヤン・シュヴァンクマイエル。彼は、映画監督とも、アニメ監督とも、人形アニメ監督とも言われることを拒みます。最も近い呼び名は“シュルレアリスト”。だが、彼は、この呼ばれ方も嫌います。彼は、人生で最も劇的である、生の誕生と死でさえも、ただの出来事と捉えそこに着眼を置かず、造形物の作家である彼は触覚的な感覚を映像に表現し、心に訴えることはせず、容赦なく見る者の皮膚に脳に神経にその映像を突き刺します。2006年の作品、「ルナシー」の日本での完成試写会を行ったとき、試写後、その場にいたほぼ全員が疲れ果ててしまい、午後3時にも関わらず、なかなか職場に戻ろうとしなかった程です。決して子ども向けではない彼の作品ですが、日本で最もインパクトを与えたチェコの監督はシュヴァンクマイエルです。彼の全ての作品が斬新で、どの作品も過去に類似するものはありません。起承転結を無視し過去の先人が作りだしてきた手法には一切拘らず、彼独自のインスピレーションで作りだされた作品ばかりです。好き嫌いは別に、一度見たらなかなか頭から離れられない作品ばかりです。