イジー・トルンカJiří Trnka
カンヌでディズニーを破り、
チェコ人形アニメを築き上げた男
1912年2月14日、プルゼニュのペトゥロフラットに生まれ、母譲りのお話好きで読書好きとして育ちました。その後、人形劇に魅せられ、1929年~35年にプラハ工芸美術大学で人形劇を学びます。1936年~37年にヴァーツラフ広場のロココ劇場で人形劇に専念。1939年からプラハ国民劇場で舞台美術を始め、同年、映画監督イジー・メンツルの父が書いた童話集「小玉のようなクマちゃん」(Misa kulicka)の挿絵を描いて名声を得ました。30年代から木彫りも数多く手掛け、のちに1963年~68年に彫刻を発表し世界中から注目されました。戦争中、自分の絵などを食料品に交換し、ゲシュタポの命令により芸術家として強制労働させられたりしましたが、プラハのバランドフ映画スタジオに助けられ、アニメーション制作に携わります。
1945年にトリックブラザーズスタジオを創立し、「動物たちと山賊」を撮り、1946年カンヌ映画祭で「トリック映画最優秀賞」を獲得しました。同部門に参加したディズニーを倒したのです。1947年以来、作曲家のヴァーツラフ・トロヤンと組んで、1948年に撮った「皇帝の鷲」はブロードウェイでロングランヒットになり、1952年の「チェコの古代伝説」が翌年のヴェネツィア国際映画祭にて銀獅子賞を獲得するなど、様々な映画祭で名声を浴びるようになりました。1962年に自らのオリジナルの本、「不思議な庭」を出版します。1967年~1968年に、アメリカのプロデューサーから依頼を受け、トールキン原作の「ホビットの冒険」のキャラクターをいくつかデザインしましたが、逝去後、このプロジェクトは中止となりました。もし実現していたら近頃、「ロードオブザリング」のトールキン作品の初映画化となったかもしれません。トルンカは1968年にプラハ工芸美術大学の教壇に立ちましたが、難病に侵され、1969年12月30日に亡くなりました。彼の影響を受けた者は多く、先ごろ亡くなられた「三国志」等の人形で有名な川本喜八郎さんも彼の作品に感銘を受け単身チェコへ渡り、弟子として彼を師事しました。世界では、トルンカは主に人形アニメ監督として知られますが、挿絵、イラスト、彫刻、絵画を手掛けるなど、広範な分野で活躍する20世紀を代表する稀代の芸術家でした。
世界中のクリエーターが尊敬してやまない、そしてチェコアニメの礎を築き世界中の美術系・造形系の大学の授業で、必ず教えられるのがイジー・トルンカです。戦後初のカンヌ映画祭で彼の短編がディズニーの前で賞をとったときから、チェコ人形アニメの黄金時代は始まり、それ以来チェコアニメは世界から常に注目され、その中心にトルンカは常にいました。彼の作品はファンタジーにあふれ、詩情に満ちています。そしてチェコのアニメを世界的に有名にし、「東のディズニー」と呼ばれ、世界中のあらゆるアニメーションに影響を与え称賛されていました。チェコアニメの全盛期を創り上げたのは、まぎれもなくイジー・トルンカです。チェコのアニメーションは、監督が美術も担当するのが特徴です。彼の丁寧に美しく作られた人形は、本物の人間以上に魂を訴え、その作品は大人も子どもも虜にしてしまうオペラのような世界です。その世界は昔、読んで想像した童話の世界が見事な映像として再現されたものです。