その他の作家other artists

パヴェル・コウツキー

~自国の動乱さえも皮肉なユーモアでせせら笑う~

1957年12月6日プラハ生まれ。
14歳でアニメーション制作に挑戦、「ホンザがどうやって世界に行ったか」を完成。
しかし当初は数学に興味を持ち、その道を志しましたが、高校時に断念し、ミロスラフ・ヤーグルに師事し、プラハ工芸美術大学で映画・テレビグラフィックのアトリエで学びます。1984年、プラハのクラートキー・フィルムで活動をスタートさせます。
線と色の使い方が独特で、一度見たらなかなか忘れられない描写です。100以上のアニメ作品を見たとき、誰の作品なのか判別するのは難しいのですが、彼の作品だけはすぐに分かるでしょう。人間が起こす愚かな行為を題材にした作品が多く、とても些細なことを最大のデフォルメで表現する力は世界でも屈指です。チェコには珍しく“オチ”があるのが特徴です。チェコの動乱の時代も、どこ吹く風で「私は人間の“愚かさ”を批判するアニメーションを作ってきましたから、もちろん、政治的な変化は大いに歓迎しました。」武力は決して行使しない、でも暴力に屈しないチェコ人の精神を彼に見た気がします。国際的に評価が高く、ベルリン国際映画祭の常連で、1987年の「履歴書」の金熊賞受賞を始め、ベルリンだけで3度の受賞歴があります。
「履歴書」1987年ベルリン国際映画祭 金熊賞
「ネズミ、万歳!」1993年ベルリン国際映画祭 銀熊賞
「メディア」2000年ベルリン国際映画祭 銀熊賞
その他多数受賞

ミハエラ・パヴラートヴァー

世界中のクリエーターが衝撃を受けた
「反復」その突出した才能

1961年プラハ生まれ。
1987年、プラハ工芸美術大学卒業。
大学の卒業製作の「夫婦生活」を発表した後、すぐにアニメーション映画のオファーをもらったパヴラートヴァー。才能ある作家が多く活躍していた当時、その抜擢はとても珍しいことでした。アニメを作るのは、自分のためという彼女の次の言葉が印象的です。「私は、多くの人によって作られる長編アニメーションよりも、作家が作る短編のアニメが好きです。長編アニメーションが目標としているのは、自分を表現することではなく、成功する商品を作ることだからです。」”日常生活”をテーマにした作品が多く、なにげない生活からユーモアや刺激を掘り下げ、見る人の共感を得ます。特に1994年に発表した「反復」は、ベルリン国際映画祭を始め、数々の国際映画祭のグランプリを獲得し、日本で広告代理店対象の上映会を催したとき、この「反復」の上映後、多くのクリエーターが拍手喝さいで称賛しました。その他の作品でも数々の国際映画祭の賞を受賞し、現在のアニメーション界には、欠かせない存在となっています。
これまでにフランス、カリフォルニア、ポルトガル、プラハの各地で彼女の映画の回顧展が開催されています。
1992年から1998年まで、チェコ国立芸術アカデミーおよびプラハ工芸美術大学で教鞭をとり、1998年からは、サンフランシスコのアカデミー・オブ・アート・カレッジで教鞭をとり、また、アニメーション製作会社Wildbrain inc.と協力し、現在は、プラハを中心に活動しています。
「ことば、ことば、ことば」
1991年ヴァヤドリド国際映画祭 グランプリ
1991年モントリオール国際映画祭 グランプリ
1992年ハンブルグ国際短編映画祭 グランプリ他
「反復」
1995年ベルリン国際映画祭アニメ部門 金熊賞
1995年アヌシー国際アニメ祭 審査員特別賞
1995年モンテヴィデオ国際映画祭 グランプリ
1996年広島国際アニメフェスティバル グランプリ
その他、多数受賞

ウラジミール・イラーネク

チェコでは漫画家として有名。
ユーモアあふれる線画が特徴

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イジー・シャラモウン

長年活躍してきた
チェコアニメには欠かせないアニメ作家

アドルフ・ボルン

画家としても有名なボルン。
彼の名を知らないチェコ人はまずいません

ミロスラフ・シュチェパーネク

表現の多彩さ、
その才能とどまるところを知らず

1923年12月2日、リブチツェ・ナト・ヴルタヴォウ生まれ。2005年没。
チェコ国立芸術アカデミー演劇学部(DAMU)人形劇学科で舞台美術を学び、60年代初めからアニメーションの美術担当として活躍。2.5次元の短編シリーズ「ぼくらと遊ぼう!」で好評を博し時代の寵児となります。「ぼくらと遊ぼう!」で組んだブジェチスラフ・ポヤルとは、「ふしぎな庭」シリーズなどのチェコアニメを代表する作品を世に送り出し、チェコアニメ史上最高のコンビとも言われました。人形アニメから、セル画のアニメまで、シュールな作品からギャグタッチのものまで、子ども向けから、難解な作品まで、その表現力の多彩さは、チェコアニメの多くのデザイナーの中でも随一です。作品ごとにふさわしい異なったスタイルを常に作りだし、「えっ、これシュチェパーネクのデザイン?」とその表現力の多彩さに驚くことはしばしばです。デザイナーでありながら、いつも撮影には最初から最後まで立ち会い、心の底からアニメーションに打ち込み、その生涯をアニメーションのデザインの仕事に捧げた人物です。

ズデニェック・スメタナ

1925年7月26日プラハ生まれ。
プラハ教育大学で美術教育学を学ぶ。
当初、イジー・トルンカ作品から大きなインスピレーションを受けて、キャラクターを生み出したが、その後、独自のキャラクターを創り上げることに成功。
スメタナの特徴はその線です。スケッチの線の強さは均一ではなく、ところどころ切れていたりします。これが動きのある揺れや共振を生み、全体的な叙情的な雰囲気を出し、感情表現を上手に出しています。また、色づかいに関して言えば、スメタナの映画は大半が黄色と青の二色の組み合わせが特徴です。背景の色彩も単調か二色の色合いに抑えられています。

ペトル・ポシュ

人形アニメからセル画まで
幅広く活躍するアニメ作家。色づかいが独特

エヴァ・シュヴァンクマイエロヴァー

彼女なしでは
シュヴァンクマイエル作品は誕生しかった

1940年9月25日生まれ。
シュルレアリスト、芸術家。チェコの町、コステレツ・ナト・チェルニーミ・レシの出身。
1958年にプラハに移り、プラハインテリアデザイン工業高校に入学。その後、プラハ芸術アカデミー演劇学部(DAMU)人形劇学科に学びます。
1970年以降、チェコスロヴァキア・シュルレアリストグループの活動的なメンバーとなります。画家であり陶芸家であり、また、定期的に詩や散文を「アナロゴン(Analogon)」誌に発表します。1998年、英語で書かれた作品が「Surrealist Women; an International Anthology(シュルレアリストの女性たち:国際アンソロジー)」(オースチン:テキサス大学プレス)に掲載されました。シュルレアリストの映画監督、ヤン・シュヴァンクマイエルと結婚し、同氏と共に「アリス」「ファウスト」「悦楽共犯者」などを共同制作し、2005年10月20日、最後の共同制作「ルナシー」の制作途中に亡くなります。

ヨゼフ・ラダ

1887年フルシチェ生まれ。
靴屋を営む両親のもとで育ち、製本職人になるべくプラハへ。
プラハ工芸美術大学で絵画を学び始めるも、授業になじむことが出来ず自主退学。
出版社で編集の仕事をしつつ、絵画などの創作活動も独自に継続し、第一次世界大戦前には風刺画家として、チェコ国内で名が知られるようになり、大戦後にはイラストレーターとして有名になりました。
素朴な絵柄と優しい色彩で、チェコの田舎の暮らし、動物を好んで描き、特に子ども向けの絵本に力を注ぎました。典型的なチェコ人の象徴とされるヤロスラフ・ハシェクの「兵士シュヴェイクの冒険」のイラストが特に有名です。1947年に国民芸術家の称号が贈られ、名実ともにチェコを代表する国民的なイラストレーターになりました。